> サイトマップ > 管理者からのご挨拶 > お読み下さい > 免責事項 > 相互リンク > 個人情報 > お問合わせ >
基礎知識
登山計画
服装
ザックの種類
登山靴
パッキング
歩き方
水分補給
食事と行動食
地図
キャンプ
ザイルワーク
岩場
山行の種類
日帰り山行/トレッキング
縦走
沢登り
クライミング
小屋泊まり
テント泊まり
> トップ > 坊がつる賛歌 >
  坊がつる讃歌

この歌を聴きながら久住山の山行写真を眺めるのが大好きです。
もちろん傍らには、大好きな「焼酎」を据え往時の雄大さに想いを馳せながら、至福のひと時を楽しんでおります。

今でこそ久住山は、老若男女を問わず多くのハイカーが手軽に登れる山となっておりますが、この歌が出来た頃の久住山は九州本土の最高峰の名山として、登るには険しく体力を必要とする山々であったと思います。
そんな久住山を、いとおしく愛して止まない想いを抱く方々は多いのではないでしょうか。

多くの登山者が入山すれば山は荒れる。登山道はえぐられ、花は盗掘され、皆の自然が少しずつ壊れてゆく、そんな事が起こらないように後世へ受け継ぎたいものです。
久住山に乾杯!!

坊がつる讃歌」について

1 人みな花に 酔うときも
  残雪恋し 山に入り
  涙を流す 山男
  雪解(ゆきげ)の水に 春を知る

2 ミヤマキリシマ 咲き誇り
  山くれないに 大船(たいせん)
  峰を仰ぎて 山男
  花の情を 知る者ぞ

3 四面山なる 坊がつる
  夏はキャンプの 火を囲み
  夜空を仰ぐ 山男
  無我を悟るは この時ぞ

4 出湯の窓に 夜霧来て
  せせらぎに寝る 山宿に
  一夜を憩う 山男
  星を仰ぎて 明日を待つ

5 石楠花谷(しゃくなげだに)の 三俣(みまた)
  花を散らしつ 篠分けて
  湯沢に下る 山男
  メランコリーを知るや君

6 深山紅葉
(みやまもみじ)に 初時雨(はつしぐれ)
  暮雨滝
(くらさめたき)の 水音を
  佇み聞くは 山男
  もののあわれを 知る頃ぞ

7 町の乙女等 思いつつ
  尾根の処女雪 蹴立てつつ
  久住(くじゅう)に立つや 山男
  浩然の気は 言いがたし

8 白銀
(しろがね)の峰 思いつつ
  今宵湯宿に 身を寄せつ
  斗志に燃ゆる 山男
  夢に九重
(くじゅう)の 雪を蹴る

9 三俣の尾根に 霧飛びて
  平治
(ひじ)に厚き 雲は来ぬ
  峰を仰ぎて 山男
  今草原の 草に伏す


作詞:神尾明正/松本征夫
作曲:竹山仙史
 唄 :芹  洋子

坊がつる讃歌について

法華院情報express vol.013より転載
今回は「坊がつる讃歌」の特集です。
この歌が歌われるようになって、いったい何年になるのでしょう? 先日山荘で発売したCD「九重山歌」にも1番から9番までを元の歌詞で入れたところ、 二日間で100枚がはけてしまいました。改めてこの歌の根強い人気に驚かされました。
ご存知のとおり、NHKみんなの歌で紹介されて全国区となり、紅白歌合戦でも、芹洋子 さんによって歌われた曲なのです。
丁度その頃、原曲の作者探しも行われました。坊がつる讃歌の作詞者の一人でもある 「梅木秀徳」さんに、元歌を教えたのは、「葱花(ぎぼう)勲」さんで、葱花さんが広島高等 師範(現広島大学)に昭和14年に入学した後に新しくできた山岳部歌ということで歌われ ていたようです。広島大学に残されている資料には、「山岳部第一歌・山男(15年8月完 成)」となっており、作詞:神尾明生 作曲:竹山仙史 編曲:芦立寛氏の名前が記載され ておりました。

しかし、原爆で古い資料が焼失し、これ以上の事がわからない時代が長く続きました。 昭和53年、栃木県の杉山浩さんがあるきっかけで、当時、地質鉱物学研究室の助手補 に神尾(かんお)さんなる人物がいた事をしり、千葉大学名誉教授(当時):神尾明正氏が 作詞者であることが発見されたのです。神尾さんは作曲者が誰なのかは知りませんが、 「もしもしカメよ」や「荒城の月」でも歌えるように作詞した事や大山あたりをイメージに四季 の山の情景を書いた記憶がある事を語っています。(昭和53年7月9日付、読売新聞)。
その2ヵ月後、今度は作曲者が判明しました。編曲の芦立寛さんの実姉の夫:宇都宮大学 名誉教授(当時)武山信治さんがその人だったのです。昭和15年の6月頃、寛さんから、 いい詩があるからメロディーをという依頼の手紙をもらい、一晩で作ったそうです。竹山仙 史は武山さんの書道の雅号でこのとき1回だけのペンネームだったそうです。

さて、芹洋子さんが歌うようになったきっかけは、昭和52年の阿蘇山ろくの野外コンサート で、夜、宿舎のテントにギターを持った若者たちが遊びにきて、「坊がつる讃歌」を唄いコン サートで歌ってみたらと勧められたのが始まりのようです。その時の譜面には、作詞:松本 征夫 梅木秀徳 草野一人の名が記され、作曲者は不明になっていたそうです。
この3人が、昭和27年にあせび小屋の小屋番をしていた夏、雨に降り込められ所在なさに 「替え歌を作ろう」ということでできたのが「坊がつる賛歌」でした。歌詞のあちこちを九重に 置き換え、この歌は瞬く間に山仲間に広まります。最初は替え歌の「賛歌」だったのが 「讃歌」となり、歌詞の一部も一般向けに替え、4番までのその歌は芹洋子さんによって全国に広められたのです。
最近、山荘でだしたCDをお聞きになった方から歌詞が違うとのご指摘をいただきますが、 これに収められている1番から9番までが、 昭和27年にできた「坊がつる賛歌」そのもの なのです。

いかがでしたか、「坊がつる讃歌」のルーツが少しでも分かっていただけましたでしょうか。
アルプスに行くと、時々、この歌を作ったのは私だという方がおられます。その方に教えて上げて下さい。
法華院情報express vol.013より転載